芸術の入り口#50-精神性⑦『三解脱門(さんげだつもん)』(上級者向け)

こんにちはIKKAI(いっかい)です。
ここ数回、芸術について必要な精神性についてお伝えしてきました。
芸術は絵の上手い下手を超えて、いかに深い精神性を画面に表現するかということの追求だからです。

精神性については、自分よがりなものでは高度なところまで登りつめるのは至難の業です。
何故なら何千年も前から人々は精神性について研究し、まとめてきているからです。

ひと一人が自力でそれを超えるというのはまず不可能でしょう。
大学の教授レベルの学問を何にも頼らずに自力であみだすことができないのと一緒です。
出来る限り専門用語使わないよう分かりやすく解説しています。(これでも必要最低限なんですTT)
素直な気持ちで読んで頂ければ、高度な精神性について知ることが出来ます。
今回は少しボリュームがありますが、何回かに分けて理解するまで読んでみてください。
また、#44の記事から紹介してきた精神性についての解説記事は今の時点でだいたい半分くらいです。
無理の無い範囲で読み進めて下さい(^v^)v

文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)
文殊師利菩薩は今まで説明してきた無戯論性(むけろんしょう)を擬神化(ぎしんか)したものです。
言いかえると、良いとか悪いとかという分別を離れ、真実を見抜く智慧(ちえ)、真実を貫く強い心『金剛(こんごう)』の重要性を示した神です。
この無戯論性(むけろんしょう)という語は繰り返し出てきます。これが分からないがために日本のお坊さんたちは意味不明な苦行に時間を費やしてしまい、あげく悟れないのです。
『無戯論性』については過去記事で紹介しています。
忘れてしまった方は過去記事からもう一度読んでみてください。リンクを貼っておきます。#44と#45で紹介しています。
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◆三解脱門(さん げだつもん)
無戯論性(むけろんしょう)をより深く理解するために三解脱門(さん げだつもん)を理解して行きましょう。
三解脱門は以下の3つのことを言います。
①空(くう)
②無相(むそう)
③無願(むがん)
よく聞く『空』とか『無』とかお坊さんたちがそれを分からずに意味不明な苦行に時間を費やしてしまう事があります。
お坊さんたちの勘違いは『空』とか『無』というそれ自体が理解できると『悟り』だと思っているところです。
『空』とか『無』は事象の本質を示したものであって、それを知った上で寛大な心を持って『悟り』ましょうというのが本当です。
それでは前置きはさておき、三解脱門(さんげだつもん)について見て行きましょう。
①空(くう)
初心者から中級者がよく勘違いするのが『空(くう)』がイコール悟りだと思っていることです。
では『空』が何を示しているのか説明して行きます。
般若心経(はんにゃしんぎょう)というお経の中に『色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)』という言葉が出てきます。
単純に訳すと『色(しき)とはすなわちこれ空(くう)であり、空(くう)とはすなわちこれ色(しき)である』となります。
色(しき)というのは事象のすべて、つまり宇宙全体とか存在するものすべて、または起こりうる現象のすべてを表しています。
空(くう)は浅い言い方をすると実態がない、常(つね)がない、存在がないと言う意味です。
色即是空(しきそくぜくう)は『すべての事象は実態がないもので構成されている』という意味です。
空即是色(くうそくぜしき)は『実体のないものですべての事象が構成されている』と言っているのです。
これは『空(くう)』の本質そのものを表す言葉なのですがなかなか分かりにくいと思いますので
もっと分かりやすくするために例を4つ話します。

例1:会社で上司から理不尽な理由で怒られました。それがどうしても納得いかなくてずっと考えてしまい、家に帰ってご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、寝る時も考えてしまいました。
こういう事は良くあることだと思います。この時に出てくるのが色即是空(しきそくぜくう)です。会社内で怒られた時は確かに怒られた実態があるのですが、家に帰ってご飯の時やお風呂の時、寝る時にはその出来事は存在しないのです。

理不尽に怒られてどうにも納得が行かず、ずるずると引きずってしまい、家にいる楽しい時間の時までその時の嫌な経験を思い返してしまっているのです。
つまり思い返してしまっているがゆえに、存在しないことを存在しているかのように思い悩んでいるのです。
思いをめぐらせているからこそ存在しているように思うかもしれませんが、よくよく考えてみたら悩みの種はすでに何も存在していないのです。

例2:今度は逆に空即是色(くうそくぜしき)の例を説明します。とある人が家で楽しくネットサーフィンして動画をみたりしています。
その隣の家の一室で今まさに火事が発生して「消火器!消火器!」と大騒ぎになっています。幸い消火器が間に合いぼやで済みました。
この時ネットサーフィンを楽しんでいる人からすると隣の家で起きている大惨事は知るよしもないのです。
ネットサーフィンをしていた人からすると火事など何も存在していないのです。

例3:宇宙の彼方で起きている星の大爆発が存在しているかもしれないのに、我々はそんなことを気にもせず生きているのです。(学者は別かもしれませんが)
もっともっと言うと別次元の世界が存在していてそこで何かが起こっているかもしれません。しかし、それを知っている人は誰もいないのです。


例4:権力を持ち恐怖で人々を縛りつけていたような王様がいたとします。
しかし、永遠に生きれるわけではありません。その国家だって永遠に続くわけではありません。5000年後の時代にはせいぜい建物の柱痕や墓が出てくるだけのものです。
事象には常がなく実態は何も無いところから生まれ、また何も無いところへと向かうのです。

これら4例のように宇宙の本質というのは『空(くう)』であり、『空(くう)』がもろもろのことを構成しているのです。
そして物事には常がなくどんどん移り変わります。つまりこの世の事象に執着し、我欲(がよく)や煩悩(ぼんのう)を働かせたとてちっぽけでしかなく本質に寄り添っていないのです。

そういったもろもろの出来事が『空(くう)』であることを知ったのなら、あなたは小さなことにいつまでも捉われず
我欲(がよく)や煩悩(ぼんのう)を離れ、事象の真実の姿を有るがままに捉えるのです。
常に本質と言うのは色即是空(しきそくぜくう)なんだという眼を持って物事の本当の姿を見極める必要があるのです。

もっと深い言い方をすると無自性(むじしょう)と言って直訳すると「自性が無い」
「つまり己が無い」となります。これはどういうことかと言うと我欲(がよく)や煩悩(ぼんのう)など狭い自我を離れて(狭い心の己を無くし)
大欲(たいよく)(おおいなるよく)を持ってもろもろの本質を見極める必要があるということです。(広い心、寛大な心、平等な心をもって本質を見極める)

以上『空(くう)』について説明しました。
例外として「心に障り(さわり)が無い(我欲・煩悩がない、狭い自我を離れている)」という意味で『空(くう)』という言葉を使うことがあります。
仏教や密教の言葉は複合的に意味を持つことが多いのです。
『空(くう)』ということを理解することは悟りへの道の第一歩です。基本中の基本なのです。


②無相(むそう)
直訳すると「相が無い」となります。相って何??ってなりますよね。
ここで言う相は『差別相(さべつそう)』です。「差別が無い」とはどういうことでしょうか?深堀りして行きましょう。

まず人は初級者から中級者の段階で我欲(がよく)や煩悩(ぼんのう)から離れることができていません。
「自分が正しい!」と思い込み他を寄せ付けないのです。
また上級者でも「空(くう)を知って私は悟ったんだ」と思い込み自分のみが正しいと理屈を他の人に押し付けてしまうのです。
これでは全くらちが明かないのです。

ある程度悟っていたとしても、一人の人が完全無欠(かんぜんむけつ)であることなどありえないのです。
ものすごい智慧(ちえ)を持っていたとしても完璧などありえないのです。

「自分が正しい!」と思い込むということの裏返しは「他人は間違っている!」となりかねないのです。
他人の立場から見たら「いやいやわたしこそ正しい!」「あなたは間違っている!」とらちの明かないことになります。
これでは争いごとが絶えない世界になってしまいます。

ではどうすればよいでしょうか?

人の経験は千差万別であり、年齢・性別・生まれた環境のすべて違うのです。体験してきたことが
皆違い、人生の価値観が皆違うのです。どちらが良くて、どちらが悪いなどということは無いのです。
良い・悪いという分別を超えて平等な精神を持って人と接するのです。
もっと言うと「悟ってる」「悟ってない」さへも関係ないのです。

ものの本質が『空(くう)』であることを知り、平等な精神をもって、人や事を見つめ、
起きていることの「あるがままの姿」を差別することなく見る必要があるのです。
そのためには狭い自我(じが)を離れ『無相(むそう)』である必要があるのです。

「自分が正しい!」とゴリ押しするのではなく、状況や環境、相手の立場に立って考えるのです。
場合によっては、『正しさ』よりも『相手の心を救う』ことが必要な場合もあるのです。
言葉は悪いですがばかの一つ覚えの様に「正しければ良い」というものではないのです。
相手の心を尊重し、お互いに尊敬の念を持って接する必要があるのです。

もし仮に自分が悟ったとしても論破野郎になったとしたら全てが台無しなのです。
相手を尊重し、相手の立場を考え、相手を差別することなく、正しい眼をもって接することが必要なのです。

それには「純粋な心」「平等な精神」「鋼(はがね)のように強い心」を持つことが重要なのです。
常に相手に対し『慈悲(じひ)の心』を持って、『最大限の優しさ』を持って真実を見極めるのです。
差別というのは人が作り出したものであって本来はそういったのもは存在しないのです。
そのことを『無相(むそう)』というのです。

※ここで注意点が有ります。それは例えば殺人を犯すような犯罪者でも差別しないのか?というとそれは違います。
差別が無いから人殺しをしても良いのだなどと勝手な解釈をしてはいけません。それこそ『エゴ』の塊(かたまり)です。
理屈的に言うのであれば、差別はしないけど区別はしっかりとすべきなのです。
身近なことで言うならば意地悪な人に対し、なりふり構わず優しくする必要はないのです。
何故ならその人は『エゴ』にまみれているからです。重要なのは物事の本質が『空(くう)』である事を知り、
その本質から大きく外れない事です。お互いの本性が生かし合えるように接することが大切なのです。

③無願(むがん)
直訳すると「望むことが無い」となります。
どういうことかというと、我欲(がよく)や煩悩(ぼんのう)に基づいた欲は無いということです。
私利私欲を離れ世のため人のために尽くしましょということです。そうすれば、しいては自己を生かすことに繋がりますよという事です。

※ここでも注意点があります。人が生きていく上で全く私利私欲を離れることは可能でしょうか?
立場によっては可能かもしれませんが全ての人がそのようにできるわけではありません。
ではどうすればいいか?
基本的には我欲(がよく)や煩悩(ぼんのう)を離れることです。
そして大欲(たいよく)を抱きそれに基づいて行動するのです。それぞれの人がそれぞれの立場の中で
出来る範囲の中で最大限の努力をすれば良いのです。
必要以上に無理をすると精神や体を壊す原因になってしまいますので注意をして下さい。
そこまでは必要ないのです。ようするに先ほど説明した「正しければ良い」というものではないのです。
『正しさ』を見つめると同時に『心の状態』を見つめましょう。


◆まとめ
今回の記事は以上です。お疲れ様でした。ちょっとボリュームがあったかな?へへへ(^v^)
無戯論性(むけろんしょう)をより深く理解するために
三解脱門(さんげだつもん)を説明しました。
三解脱門とは
①空(くう)
②無相(むそう)
③無願(むがん)
の3つの事柄を指していました。

今回の記事を理解することで『悟り』の入り口に立ったと言えるでしょう。
無戯論性・空・無相・無願は宇宙の姿であり、判断、分別の基礎となるものなのです。

 

お疲れ様でした。最後まで読んで頂きありがとうございます。
IKKAI(いっかい)でした(^v^)♪
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芸術の入り口#49-精神性⑥『智印』(ちいん)(上級者向け)

◆こんにちはIKKAI(いっかい)です。

芸術家にとって必要な精神性について説明しています。

もし以前の記事を読んでいない方がいらっしゃいましたら#44から読んでみてください。だんだんと言葉の難易度が上がってゆきますので何度も読んで単語を理解してください。#44の記事から読んで頂ければ理解できるようになっています。1記事3分くらいの構成になってます。是非読んでください。密教の真髄が分かるようになります。

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◆羯磨(かつま)
『清浄(せいじょう)』『金剛(こんごう)』『欲』『清純』『三界の主(さんがいのしゅ、もしくはぬし)』について前記事でお話してきました。
これらのことを理解し身に備えるために活動することを『羯磨(かつま)』と言います。
一つ一つの記事で説明したことを何度も読んで頂きそれが普通である状態まで精神性を高めていきましょう。
それが『羯磨(かつま)』です。

それではタイトルである智印(ちいん)について2つ紹介します。
この二つは密教の中で最も大切なのもです。ようするに真髄です。

 

 

◆法界定印(ほっかいじょういん)

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法界定印



法界定印はよく座禅をしている時に組む手印(しゅいん)です。
この手印は前に説明しました心の宝石『宝珠(ほうじゅ)』を示したものです。
自分の中にある宝石を顕(あらわ)にすることの重要性を表しています。
手を組むときにどちらが上になるとか、瞑想の時に組むとかそういうものは日本のお坊さんが作り出してしまった間違った解釈です。
大切なのはその手印(しゅいん)が何を形どっているのか?ということです。
法界定印は『宝珠(ほうじゅ)』の形に手を組みその意味は『心の宝石を顕にしなさい』ということです。
この手印(しゅいん)は胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の一番中心にいる胎蔵大日(たいぞうだいにち)の手印です。
胎蔵界曼荼羅の本質は以前説明しました『大悲(だいひ)』です。おおいなる慈悲(じひ)の心です。
単純な言い方をすると『優しさと言うのはとことん大切だ』ということです。
過酷な状況下で優しさを貫くには強い心が必要だからです。

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宝珠(ほうじゅ)

 

 

 

◆智拳印(ちけんいん)

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智拳印



智拳印は密教の大真髄と言える手印(しゅいん)です。左手で『宝珠(ほうじゅ)』を表し、かつ『向上心』を表しています。右手で『冠(かんむり)』を表しています。ようするに智慧(ちえ)を冠に例えているのです。心の宝石宝珠に智慧(ちえ)の冠(かんむり)をかぶせている形になっています。智拳印(ちけんいん)は金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)の中心にいる金剛界大日(こんごうかいだいにち)の手印(しゅいん)です。
金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)の本質は以前説明しました『大智(だいち)』です。おおいなる智慧(ちえ)ということです。
この場合の智慧とは五智(ごち)といって5つの智慧のことを指します。
五智につてはのちのち別の記事で説明します。
◆まとめ
前回までの記事の内容をまとめて『羯磨(かつま)』といいます。
また今回は最も重要な2つの手印(しゅいん)について説明しました。
『法界定印(ほっかいじょういん)』と『智拳印(ちけんいん)』です。
密教では『清純な心』『優しさ』『智慧(ちえ)』『強い心』の重要性を説いているのです。
また本質と言うのは『清浄(せいじょう)』であると説いているのです。

上智印(ちいん)についての説明でした。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
IKKAI(いっかい)でした(^v^)/
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芸術の入り口#48-精神性⑤『三界の主』(上級者向け)

三界の主
こんにちはIKKAI(いっかい)です。
あなたは芸術が好きですか?
身近に芸術作品が有りましたか?
ここ数回に渡り芸術家にとって必要な精神性について紹介しております。あなたが芸術作品を見て楽しめるようになってほしいですし、本物と呼ばれるものを見抜けるようになってほしいと考えています。私のブログを一通り読んでもらえると「芸術って何なの?」ということが分かります。画家でも抽象画や具象画をまったく理解していない人もいます。それは今まで身近にそういった作品に触れる機会がなかったしそれを教えてくれる人がいなかったからに過ぎません。芸術はそんなに難しいものではありません。
わたしのブログがそれを証明しています。
あなたも気楽に芸術を楽しんでください。

(精神性について前の記事を読んでいないと理解できませんので、まだ読んでない方は
そちらから読んでください)(^v^)v
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◆三界とは
ではさっそく今回のテーマ三界(さんがい)についてお話します。
三界は次の3つのことを言います。
①欲界(よっかい、よくかい)

食欲、性欲におぼれている状態。ただその2欲を満たすことだけに明け暮れ、我欲を満たそうとしている状態。
②色界(しきかい)

2欲を満たすことに明け暮れることにむなしさを感じ知識を蓄えようとする状態。しかし、頑固さゆえに自分の狭い知識が最上のものと思い込み、さらに深い本質を見ずにしりぞけてしまっている状態。
③無色界(むしきかい)

我欲をはなれ本質を知ったが、自分の知った本質が最上と思い込み、本質にこだわりすぎているがゆえに、ゆうずうの利かない人間になり、真に平等な考え方によって物事を判断できていない状態。

初心者の段階ではこれら三界を瞑想をして抜け出しましょうと教わります。
これら三界の中にいては心の平安はなく、いつまでもその三界を行ったりきたりすることになるのです。なので深い瞑想に入り三界を抜け出すのですと教わります。
しかし、これはお坊さんがよく勘違いするところで、それを一般の人に広めてしまっているところです。実際のところ瞑想をするという行為は心は一時的に落ち着くかもしれませんがそれによって悟れるわけではないのです。瞑想をしていて、頭の斜め上あたりにピコンと電気が光って、私は悟ったぞ!なんて事にはならないのです。
悟りとはもろもろの本質を理解し、自己の心の中にある欲や性質を最大限、いかすすべを知り、自己を形成し、世のため人のためにそれを最大限発揮するということが悟りです。
自己の中にある「本性(ほんしょう)」を知らないと悟れないのです。

◆三界の主になる
三界についてさらに細かく定義しそれをねちねちと修行している宗派を見かけますがそれはまったくの無意味です。
三界については上記のものが有るんだなという程度の認識で良いのです。それ以上に三界を研究しても何もでてきません。
三界を知り「三界の主」とならなければならないのです。ようするに三界を行ったりきたりしていてはらちがあかないのです。そこを離れもっと大きな心を持って、より高度な世界に自分の精神性を成長させましょうということなのです。
それには、『良い悪いという分別を超える』ということが必要になり、『本質』を見極めた上でさらに『平等な心』を持って物事を判断していかなくてはなりません。
◆清純な心
三界の主になるためには、まず『清純な心』が必要です。純粋な心を持って物事の本質と向き合うのです。世の中の苦しみに流され、うがった目で物事を判断してはいけません。真に純粋な気持ちとは何か?あなたは分かっているのです。
その純粋な心を元により高度な世界に突き進んでゆくのです。悟るために超超超重要な項目が2つあります。それを紹介します。
①本質を見抜く『智恵』
さきほどもお話したように『良い悪いという分別を超える』必要があります。そのことを無戯論性(むけろんしょう)と言います。
あるがままをあるがままに見抜く智恵を身に付けるのです。悟るために最重要項目①は『智恵(ちえ)』です。
本質をあるがままに見る智恵のことを『大智(だいち)』と言います。おおいなる智恵という意味です。
②すべてを包み込む優しさの『慈悲』
最重要項目②は『慈悲(じひ)』です。これは、母の子に対する愛のようなものですべてを包み込むような大きな愛のことです。(愛情に欠乏した人もおられますので一概にこの例えがあっているとも言えませんが分かりやすくしたものなのでご理解ください。)
キリスト教の聖書の中でも『山を映すような大きな智恵を持っていても、愛無くば数うるに足らず』という言葉があります。
これは超超超本質です。人間が生きて行く中で最大の課題なのです。先ほど説明した『智恵』と『慈悲』の両方を持ち備えることこそ『悟る』ために必要なことなのです。
より大きな愛、より大きな慈悲の心のことを『大悲(だいひ)』と言います。おおいなる慈悲の心という意味です。

『大智』と『大悲』。この2つを身に備えることが仏教や密教の目指していることです。これは超超超本質であって仏教や密教の存在意義です。

◆すべてを貫き通す『金剛心』
以前に紹介しました『金剛心(こんごうしん)』を持って世の中の矛盾の中にあっても本質を見抜き、自己形成を目指すのです。鋼(はがね)のように強い心は時に厳しく、時に優しく平等な心をもって心理を貫くのです。

◆注意点
以前の記事でも紹介しましたが、これらの理論を知ること、また実践することは精神性を養う上でとても重要なことです。
しかし、現実社会の中にあって人それぞれがみんな違う状況にあります。純粋にこれらのことを推し進めることができる状況の人もいますし、現段階でそれが上手く行かない人も絶対にいるはずです。
日常において無理の無い範囲で自分のやり方で精神性を養ってください。
決して無理をしすぎてはいけません。健康有っての自己形成です。私の若い頃はそれが分からず無理しすぎて体を壊しました。
あなたはそういうことが無いように、可能な範囲でこれらの本質を生かしてください。

◆まとめ
三界の主になろう♪
それには純粋な心をもって
①『大智』
②『大悲』
を身に備えよう。
『金剛心』を持ってそれらを貫こう。
くれぐれも無理をしないこと。

以上最後まで読んでいただきありがとうございました。IKKAI(いっかい)でした(^v^)v
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芸術の入り口#47-精神性④『純粋』(上級者向け)

◆純粋
こんにちはIKKAI(いっかい)です。(^v^)v
今回は引き続き芸術家にとって必要な精神性についてお話します。私の話は仏教や密教を元にしております。なので絵を描かない方でも仏教の精神を知りたい方は参考になると思います。美大では絶対に教えてもらえない範疇(はんちゅう)のことですし、私は密教を勉強してますのでお坊さんより高度な内容をお伝えしていると思います。
かなり本質的なことを紹介しておりますので、素直な気持ちで読んでください。ゆがんだ気持ちでこの文章を読むと何も得られません。またこういった文章を書ける人はそうそういないと思いますのでこのブログにたどりついたあなたはラッキーかもしれません。ブログが消える前に読んで参考にしていただけたらと思います。
気楽に楽しんで精神性について学んでください。
◆注意点
精神性を養って行くときの注意点があります。それはここで紹介することは基本的なことであってあくまで理論だということです。
現実社会の中でこれらのことを実践しようとすると理論通りに上手くいかないことがあります。むしろ上手く行かない事だらけです。
これは初心者の時は凄く辛くて下手すると精神的にかなり衰弱してしまいます。

◆純粋であるがゆえに
実際私の若い時がそうで、20代~35まで血ヘドを吐いて4回入院しました。これは、心が純粋すぎたため、実社会の荒波とのギャップに耐えられなかったのです。
お坊さんのように社会と切り離した環境で勉強できるなら良いでしょうが実社会の中にいてこれらを実践することは並々ならぬ努力が必要です。
ただこのブログではみなさんがそんな苦労をしないために実社会での人との関わり方も紹介しております。
過去の記事をまず読んで実社会での立ち回り方のコツを頭に入れてからこれらの精神性につての記事を読んでください。
過去記事はこちらから↓↓↓↓↓

 

 

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◆純粋な心 宝珠

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宝珠(ほうじゅ)



前置きが長くなりましたが『純粋な心』について紹介します。
過去記事で『清浄』、『金剛』、『欲』につて説明してきましたがそれらは『純粋な心』の上に成り立つものです。
本来あなたの心の中にある『純粋な心』をあらわにすることが重要なのです。仏教ではそれを心の宝石として表しています。『宝珠』(ほうじゅ)というドラクエのスライムみたいな形をした玉があります。
この宝珠は心の宝石を表し最も心が純粋である事を表します。宝珠をあらわにせよ!というのが仏教や密教の教えです。
また仏像が蓮華の花の上に座っているのもそれに近い意味です。蓮華(はす)という植物は泥の池や沼に育ちます。泥に染まることなく美しい花を咲かせます。
それに例えて煩悩だらけ世の中に染まることなく、純粋で美しい心の花を咲かせなさい。という教えがあるのです。
仏教や密教の本質は『自己形成』であり、それは『純粋な心』の上に成り立つのです。

若い頃社会に出て一生懸命がんばって色々と、にがい経験を積み重ね段々と知恵を付け立ち回れるようになると、40~50代でかえって純粋な気持ちに戻るという経験をしたことがある方は少なくないと思います。
これは経験的に人として純粋な心の重要性に気づいているのです。

◆純粋であるために
純粋さを保つことはかなり大変です。強い心を持っていないといけませんし、理屈と合わないことを自分なりに上手いこと解釈して処理する必要があるからです。
こんな言葉があります。『真実は真実に固執しすぎると真実で無くなる』これは、つねに変化する現実に対応するためには、言葉は悪いですがばかの一つ覚えの様に『真実・真実』と言っていては対応できないということです。
常に『本質』を頭の中に叩き込んでおいて、現実社会の中で可能な限り本質からずれないように努力しつつ、ときには『良くないな』とか『やばいな』ということにも対応しないといけないことがあるのです。
『もろもろの本質』ということばに『もろもろ』とくっつけているのはそのためです。常に変化する現実に対応しないと生きられないのです。そんな現実社会の中にあっても『純粋な心』をあらわにして行く事が『自己形成』のためには重要なのです。
本質を知った上で純粋な心を常に追求する。それには金剛の知恵(はがねの心)が必要なのです。

◆まとめ
こどものときには多くの人は大抵純粋な心を持っています(例外は絶対いるでしょうが・・・w)
社会に出て、社会を支える側になった時に『純粋な心や想い』が必要なんだと気づかされます。
『ずるい事』を覚える事も本質的には必要かもしれません。しかしそれに染まっていてはいけません。
基本は『純粋な心』なのです。自分自身の純粋な心が理解できれば『自然体』でもろもろの事柄に対応できるようになるのです。
もろもろの本質を理解することとセットで純粋な心、宝珠をあらわにしてゆきましょう。


最後まで読んで頂きありがとうございます。
IKKAI(いっかい)でした。(^v^)♪

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芸術の入り口#46-精神性③『欲』(上級者向け)

こんにちはIKKAI(いっかい)です。今回は『欲』について紹介します。芸術家にとって必要な『精神性』をより具体的に紹介したいと考えております。また、仏教の心を理解するのに参考にしていただければと思います。#44の記事から精神性について紹介しておりますので、まだ読んでいない方はそちらからご覧ください。順番に読んだほうが理解しやすくなっております。

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それでは『欲』について紹介してゆきます(^v^)v

◆欲

欲には2種類あります。
それは『我欲』(がよく)と『大欲』(たいよく)です。
人は精神性を成長させるために欲を正しく働かせる必要があります。それぞれの欲の違いを見てゆきましょう。

◆我欲(がよく)
我欲とは煩悩(ぼんのう)とも言われます。
自分さへ良ければいいというよう様な自己中心的な考え方を指します。我欲の中でも特に仏教の中で言われるのが「貪り(むさぼり)、怒り、愚痴(ぐち)」の三つです。これらのことを三毒といいこれらを繰り返していては迷いの中を堂々巡りし四苦八苦の中に生きることになります。
・貪り:我欲のままに必要以上に物事を追い求める様子。例えば食べもしないのに海で魚をとりまくったら魚は絶滅していなくなってしまいます。実際問題として廃棄されている食べ物が多すぎることが問題になっています。これは人間のむさぼりと言えるでしょう。また金・金・金と金の亡者となり人をだましたり殺してまで金を欲するなどというのは最悪のむさぼりです。
・怒り:正確には瞋(じん)といい、我欲のもとに怒ったり、ねたんだり、憎しんだりそういった争いの心を指します。狭い自我に凝り固まり人間本来の素晴らしさを根底から台無しにしてしまうのです。
・愚痴:簡単に言うとネガティブです。ぐちぐちといつまでもらちの明かないことを愚痴っていては物事が良い方向に転じません。本来は人生を肯定的に捉えることが大切なのです。環境や経験に流され正しい判断が出来なくなってしまうのです。これら「貪り・怒り・愚痴」のことを「貪・瞋・痴」(とん・じん・ち)と言い三毒ともいい人間の我欲・煩悩を指しています。人は我欲を離れなければなりません。狭い自我を離れ「欲」を正しく働かせる必要があるのです。そうすれば自己は活かされ真の自己形成に役立って行くのです。
大切な言葉がありますそれは『自利利他』(じりりた)です。
自分のためになること・ひとのためになることをして行きましょうという教えです。
特に初心者のときはこの利他を中心に意識し、利他行(日常の中でひとのためになることをする行為)を実践すると良いでしょう。簡単にできることからすればいいのです。たとえば人を助けるとか家の中、学校、会社などどこでも、自分のやれる範囲の小さなことでもコツコツと人のために尽くすのです。利他行の積み重ねがしいては自利、つまり自分の成長につながるのです。我欲を捨て去ることが自己の成長への第一歩です。


◆大欲(たいよく)
大欲とは欲を正しく働かせた状態のときにいだくおおいなる欲のことです。
正しい欲とは何でしょう?例を3つ紹介します。
例①:世のため人のために何かをしたい、人を助けたい、そのために何か自分の道を極めて行きたいという欲。芸術家の場合はまさに人生そのものが大欲と言えます。『本当の美』つまり『心の美』を多くの人に伝えたいという欲は大欲なのです。自己を活かし世のため人のために何かをしたいという欲は大欲なのです。もし特に大きな野望もないと思う人がいたとしてもそれはそれで悪いことではありません。日常の中で人のためになにかできることはあるのです。自分のできる範囲で人のために何かを成し遂げてゆきましょう。
例②:悟りたいという欲。この悟りたいという心を纔発心転法輪菩薩(さいはつしんてんぽうりんぼさつ)という菩薩で表します。これは悟りたいという心をほっするやいなや、法輪にてんずる。つまり曼荼羅の中心にかかれている中台八葉という蓮華の輪の中に転ずるということを表します。もっと噛み砕いて云うと「悟りたいという心をもったとたんに悟りの輪の中に入れるよ」ということです。もちろん、もろもろの本質を理解し実際に自己形成のために活かしていかないといけないのですが、その心を持つことが大切なんですよということです。
※本題とはずれますがひとつ注意点があります。仏教や密教で表す神々は実際にそういう神がいるよと云うことでは有りません。人が本来心の中に持っている本質を擬神化しているのです。そもそも、心の中に持っている本質を最大限活かすために、その本質を神様で表しているのです。人はこの本質を見極める目を持つことが重要でそれを理解しやすくするために神様でそれらを表しているのです。神に祈るという気持ちは悪いことだとは思いません。ただし、より上級者になって行くにしたがって仏像の表す意味を深く理解する必要があるのです。
例③:愛する人を守りたい
これは根源的な欲です。思いやり、優しさ、強さを必要とし、人を成長させる根源的な力になるのです。大欲とは素直な心の上にいだく欲なのです。

◆まとめ
以上「我欲」と「大欲」の違いを説明しました。
とにかくこの世の中は「我欲」に満ち溢れています。しかしその一方で純粋な生き方を貫いている人々がいるのです。世の中の我欲の渦に流されない強い意志「金剛心」(こんごうしん)を持って大欲を抱いてゆきましょう。そして自利利他の利他を実践してゆきましょう。

 

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芸術の入り口#45-精神性②『金剛』(上級者向け)

◆金剛について
今回は『金剛』(こんごう)について説明をします。仏教の精神についてたびたび紹介してゆくつもりです。参考にしてみて下さい。
(前回の記事をまだ読んでない方はこの記事の一番下にリンクを貼りますのでまずそちらを先に読んでください。より理解できます。また読んだけど忘れちゃったという方も読んでみてください。)

芸術作品はテクニックや技術だけのものではありません。『精神性』といわれる部分で深みが必要なのです。それは自分勝手な思い込みではなく、2000年以上の歴史の中で培われた考え方に基づいたものです。時代が変わり生活が大きく変わりますが、ずっと変わらない『本質』があるのです。

◆鋼(はがね)の心
金剛を直訳的に考えると鋼(はがね)です。
強靭な精神を表します。
また金剛には真実を貫くという意味があります。
このように金剛という言葉には複数の意味があります。
それら一つ一つを深く理解し『金剛』という言葉の総合的なイメージをつかみ取ってください。『金剛』についての意味を3つ紹介します。

①強い意志
『金剛』は本質を理解するための知恵を身につけ、あらゆる苦難に打ち勝ち自己を形成することをさします。つまり自己形成のための強い意志を表すのです。芸術家はとても例えやすいと思います。売れなかったとしても決して自己の道を諦めず自分の世界観を形成してゆくのです。苦難に打ちひしがれようと、必ずそれに打ち勝ち、自己形成の意志を貫くのです。
②真実知恵
ここで言う『真実知恵』とは前回の記事で紹介した『良い悪いという分別を超える』物事の本質を見極める能力のことです。
良い悪いにとらわれた意見のことを戯論(けろん)と言い、良い悪いという分別を超えた物事の本質のことを無戯論性(むけろんしょう)と言います。真実知恵を体得するには無戯論性を理解しなくてはなりません。
③平等
さらに真実知恵を体得するには『平等』に物事を見極める心の目が必要です。
私利私欲を離れて有るがままの姿を有るがままに見て平等な考えを持つことを指します。(簡単に言うとえこひいき無し!!)あらゆる立場の人でも平等に真実の目を持って接し、人や事を見極める必要があります。
人の物の見かたはとかく自分の立場の保身や損得、身内などに対するエコヒイキに偏りがちです。そういった私利私欲を離れ正しく真実を見極める必要があるのです。『清浄』な心を持って。

◆まとめ
今回は『金剛』について基本的な考え方を紹介しました。
前回の記事で紹介した『良い悪いを超える』や『清浄』という言葉を同時に理解することでより正しく『金剛』という言葉を理解できます。人一人が悟るということは並大抵の道のりではありません。金剛の強靭な意志を持って自分の心の奥底にある純粋な心に基づいて自己を形成していくのです。


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